(1)「紀の川のほとりで」~「合併市」紀の川市の現場から~

◆『紀の川のほとりで』

「紀の川は今日も流れ    いくつもの川を集めて   君はまだここにいる   僕たちの心の中に‥‥」

平成21年2月14日、紀の川市ピンクリボンキャンペーンの一環として行われた講演会で、地元の小学生が歌ってくれた『紀の川のほとりで』という歌の一節です。母なる紀の川の悠久の流れなどを題材にしたこの歌に、紀の川市の子ども達が命を吹き込んでくれました。

私は、赴任先や仕事で深い縁のできた土地で歌づくりをすることをライフワークとしています。鹿児島では『からいも畑に陽が落ちて』という村おこしの歌を作り、宮城では『ふゆみずたんぼの歌』という環境にやさしい農業のテーマソングをつくりました。『紀の川のほとりで』は、紀の川市が誇る医聖・華岡青洲が、世界で初めて全身麻酔薬による乳がん摘出手術に成功したことなどを踏まえ、乳がんを乗り越えて強く生きていこうというメッセージを織り込んでつくった歌です。市内の乳がん検診受診率を
上げ、乳がん撲滅を図る「紀の川市ピンクリボンキャンペーン」のテーマソングにしていただきました。

『ふゆみずたんぼの歌』も、宮城の小学生にレコーディングしてもらったのですが、『紀の川のほとりで』も、青洲先生地元の上名手小学校の生徒さんにお願いして講演会で歌ってもらったわけです。

◆「果物王国」紀の川市

紀の川市は、和歌山県北部に位置する人口7万人の市です。県都の和歌山市に隣接し、大阪府とも境を接していて関西国際空港に車で40分ほどです。
基幹産業は農業で、はっさく、いちじく、桃、柿、キウイフルーツが全国有数の生産高を誇るなど「果物王国」とも言うべきところです。

私は、平成19年4月、農林水産省から紀の川市に赴任しました。いったん国へは辞表を出しての出向ということになります。ひそかに運命的なものを感じたのは、まだ入省間もない頃、鹿児島県末吉町役場への市町村交流を経験していたので、市町村の現場に出るのが二回目だったことと、末吉町が平成17年7月に隣の二町と合併して曽於市となっていたのと同様に、紀の川市も平成17年11月旧那賀郡5町(旧打田町、旧粉河町、旧那賀町、旧桃山町、旧貴志川町)が対等合併(新設合併)してできた「合併市」だったことです。

もともと、『かがり火』と同様、私も「平成の大合併」についての関心は強くもっていました。末吉町のかつての仲間たちからは合併の選択は苦渋のものだったということを聞かされていましたし、農林水産省の補佐時代に交流のあった棚田地域の方々の活動が、市町村合併の結果、明らかに失速してしまった状況を目の当たりにしていました。

紀の川市という合併したばかりの市の現場に赴任し、職員として自ら合併市のまちづくりに参画できるチャンスを与えられたわけですから、ありがたいという思いと併せて、強く責任を感じたところです。

◆離婚できない結婚?

前述の通り紀の川市への赴任前は合併について否定的な見方をしていたのですが、赴任して2年たち、市の行政に携わる中で、合併を肯定的に捉えていく必要もあると考え直すようになりました。地方交付税の削減や合併特例債という国からの財政的なプレッシャーが紀の川市の合併の直接の動機付けになったことは間違いないのですが、若い市民や市職員を中心として「合併してよかった」と肯定的な意見を持つ人が少なくないのです。

今回、本誌発行人の菅原さんから「合併市町村の課題」について寄稿の依頼があり、自分の考えをまとめるいい機会だという思いもあって快諾しました。

ところが、ところが、7,500字もの原稿をせっせと書き上げて送ったものの、菅原さんから原稿の全面書き直しを命ぜられてしまいました。「田中さんは、本当は合併の否定論者なのに立場上否定できないので、歯切れが悪くて面白くない」とのこと。

私がもともと合併の反対論者であったことを否定するものではありません。曽於市の住民にしても紀の川市の住民にしても、できることならば合併したくなかったと思います。誰よりも私自身が、末吉町での青年団長経験なども踏まえて、小規模の自治体の良さを十分に理解しています。

ただ、菅原さんにも『かがり火』の読者にも分かっていただきたいのは、紀の川市にとって「合併」は既に選択してしまった事実であって、経緯はどうであれ、合併を否定することは自分自身を否定するにも等しいことなのです。合併した選択は後戻りできるものではないし、何よりも、合併を選択しなかった市町村に負けたくないという思いも強くあります。例えて言えば、「離婚できない結婚」をしたといったところでしょうか。

もちろん、紀の川市の合併によって傷ついた人もたくさんいますし、いまだに一部の市民から「合併しないほうがよかった」という声があるのも事実です。しかし、住民には目につきにくい「合併の大きな効果」があることは、分かってもらいたいと考えました。そういった観点から書いたものだということで、お許しいただきたく思います。

◆このままでは、とてもやっていけない

紀の川市は、なぜ合併という選択をしなければならなかったのでしょうか。そもそも、各町には、それぞれ地域で築き上げてきた個性・歴史があります。

お互いに隣町に負けないようにと張り合ってきたわけですから、突然共通のアイデンティティーを持てと言われても、容易なことではありません。でもなぜそういった困難を乗り越えて旧5町が合併しなければならなかったのでしょうか。

理由は単純といえば単純で、地方交付税などが削減される中、「このままでは、とてもやっていけない」という財政上の課題が合併の大きな動機付けになったようです。

実際、5町の財政状況を合併した場合としない場合に分けてシミュレーションしたところ、合併しない場合は建設事業などを抑制しても、平成20年度には基金(預金)が底をつく非常事態にありました。

一方、合併した場合には、合併による経費の削減や合併特例債など特例措置の効果により財政的に非常に有利となるわけです。

もちろん合併についての不安もありました。合併前、5町合併に関して町民に対してアンケートが行われています。合併についての不安の第一は、「きめ細かな行政サービス」が難しくなるのではということでした。その他、役所への距離が遠くなり不便
になるのではということや、公共料金などの増加についての懸念も示されました。

また、合併の実務を進める中で大きな問題となったのは、市庁舎の位置と各町の財政上の格差でした。

これは対等合併の市町村の場合、特に問題になることが多いようです。ただ、財政状況のよかった旧打田町が地理的にも中心だったことから、市役所本庁を旧打田町役場に設置するということで合意することができました。

◆市民には見えにくい「合併の効果」

合併の動機付けが各町の財政上の苦境だったことは間違いありませんが、合併によって市民には見えにくい「合併の効果」が出てきていることも事実です。思い付くまま、4点ほど列挙してみたいと思います。

第1は、旧5町職員の切磋琢磨 です。旧5町の対等合併だったということもあり、職員がいい意味で競い合い、刺激しあって、結果として市民サービスの向上につながっています。市民から「合併して役場の職員の対応がよくなった」という声をよく聞きます。

第2は、行財政改革の進展です。合併を機に市役所の行財政改革が一挙に進みました。10年間に約700人の職員を約500人に減らす計画をたてるとともに、緊縮財政方針を打ち出し、不必要な経費を削減しています。また、市議会議員も市発足時には法定の30人からスタートしたのですが、平成21年11月以降は、24人定員とすることが決まっています。

第三は、過去の負債の精算です。旧町の土地開発公社の中には、バブル期に高い土地を買い取ったまま塩漬けとなり大きな負債を抱えているところもありましたが、合併後の最重点施策として公社の財政健全化を進め、効果を上げつつあります。自治体財政健全化法が施行され公社や第三セクターなどの連結決算が厳しく査定されるようになる中で、合併がなければ旧町の公社の一部は破産状態に陥っていたでしょう。

第四は、重点投資が可能になったことです。例えば、平成21年度新規予算で、雇用確保の観点から新たな工業団地造成を打ち出しましたが、これも広域合併をして重点投資が可能となったおかげです。その他、中国の濱州市や韓国の西帰浦(そきっぽ)市と行っている国際交流事業も、合併しなければ取組自体難しかったでしょう。小中学校の耐震化についても、合併特例債を有効に活用し、順次、校舎の補強や建て替えを進めています。

市民には見えにくい「合併の効果」
①旧5町職員の切磋琢磨
②行財政改革の進展
③過去の負債の精算
④重点投資が可能となったこと

◆市民主体のまちづくり

紀の川市内で、合併前後から市民主体のまちづくりが展開されています。紀の川市のまちづくりをいくつかご紹介させていただきたいと思います。

廃線の危機を乗り越えて
貴志川線貴志駅の猫の駅長「たま」ちゃんと言えば、全国ネットのテレビで紹介されることも多く、読者の中でご存じの方もおられるのではないでしょうか。実は、この線路も一時期廃線の危機にありました。平成16年に貴志川線の廃線が発表されたと
き、「貴志川線の未来を〝つくる〞会」が結成され、地域で存続活動を繰り広げた結果、和歌山電鐵貴志川線として再出発することとなったのです。和歌山市町村合併を選択した以上、合併のマイナスよりもプラスを見ていくことが大切だと思います。
電鐵では、「いちご電車」「おもちゃ電車」に続き、3月21日「たま電車」も運行を開始し、乗降客数も確実に増えています。駅前では「いちご自転車」のレンタサイクルの貸し出しもはじまっていて、住民主体のまちづくりの成果が実りつつあります。
なお、貴志駅のスーパー駅長「たま」ちゃんは、日曜日が休みとなっていますので、あしからず。

猫の駅長たまちゃん

②粉河商店街を彩るモニュメント
西国三十三ヵ所観音霊場・第三番札所の粉河寺のことをご存じの方は多いと思います。この粉河寺と粉河駅の間にある粉河商店街、通称「とんまか通り」では、後継者不足などにより閉店する店も多く活気が失われつつありました。

こういった状況を打破し、駅から粉河寺への参拝客に商店街を歩いてもらうにはどうすればいいのか。商工会の呼びかけにより地域の商店主を中心に実行委員会を立ち上げて検討を重ねた結果、商店街を彩る30基のモニュメントがつくられることになり、平成21年3月に完成しました。モニュメントには粉河寺の創建の経緯が書かれた「粉河寺縁起絵巻」が転写され、駅から順に見て歩くことができます。

千手観音の化身であるという「童男さん」の像もシンボルとして2体設置されています。ぜひ、粉河の「とんまか通り」に足をお運びください。

華岡青洲の生誕地から発信する健康バイキング
華岡青洲は、文化元年(1804年)、全身麻酔薬による乳がん摘出手術に世界ではじめて成功した偉人です。青洲を顕彰する施設として「青洲の里」が平成になってから建設され、運営されてきました。

しかし、開館当初と比べて入場者数が伸び悩んできた中、新たな取組にチャレンジしようとスタッフで検討を重ね、平成19年3月「健康バイキング」に取り組むことになりました。地元産野菜を中心としたヘルシーなメニューが話題となり、春夏のピーク時には常に満席状態になるなど人気を呼んでいます。

医と食の連携という観点からも注目を集める取組です。

④地産地消の拠点・めっけもん広場
紀の川市には、日本一の農産物直売所であるJA紀の里「めっけもん広場」があります。平成12年の開設以来、販売高は順調に伸び、全国有数の売り上げを達成しています。

農産物一つひとつに農家自身が値段付けをして、販売コーナーでの陳列も農家自身が行うなどの工夫があり、新鮮な地元産の農産物が安価で買えると評判を呼んでいます。大阪や神戸からの来客も多く、週末は駐車場が常に満杯の状態です。平成21年4月からは、地元産の野菜や果実を味わえる「イートインコーナー」もオープンする予定です。

⑤「食育のまち」紀の川市へ
紀の川市では、県下1位の農産物の生産高を誇るだけでなく、環境保全型農業など安全・安心な農産物づくりに取り組む農家もたくさんいます。また、学校給食に地場産の農産物を取り入れるなどの取組も熱心に行われてきました。

このように「食」に対する関心が市民一般に高いことから、平成20年に「紀の川市食育推進計画」を策定して、市を挙げて食育を推進しているところです。

今後、めっけもん広場や青洲の里などを拠点として、「食育のまちづくり」を展開していきたいと考えています。

◆行政に頼らない地域づくりへ

考えてみれば、行政に頼らない市民主体のまちづくりを進めてきた地域では、行政が合併しようがしまいが、さほど影響は受けません。市町村合併は、各地域が行政依存から脱却するチャンスともとらえられます。

ただ、私が心配しているのは、合併による市の行財政改革を急ぐあまり、旧町で培ってきた地域の文化が廃れてしまうことです。例えば、小中学校の統廃合は効率的な投資という観点からは必要なものですが、小中学校が地域文化の拠点として機能してきたという面もあります。このため、統廃合を行う場合には、地域の意見を尊重するのはもちろんですが、廃校となった後の校舎の活用をどうしていくかということも併せて検討しなければなりません。

また、地方への権限委譲の名の下に、県から市に多くの事務が移管されようとしています。もともと「このままではやっていけない」ということで合併したわけですし、職員も減らさなければならない中、紀の川市のような地方の新設合併の市には新たな業
務に取り組む余裕はほとんどありません。都道府県と市町村の関係の見直しは必要なことですが、市町村への業務の一方的な「押し付け」にならないよう配慮してほしいと思います。

◆ふるさとづくりへの「志(こころざし)」
紀の川市は、紆余曲折はあったものの、市長の指導力、市議会議員の協力、市職員の意識の高さなど様々な要素がかみあい、合併がうまくいったといえます。しかし、本格的なまちづくりはこれからです。

合併にいたった「初心」や合併にともなう「痛み」を忘れることなく、新しい紀の川市づくりにチャレンジしていかなければなりません。よりよいふるさとをつくるためには、市民一人ひとりが高い「志(こころざし)」をもつことが肝心ではないでしょうか。

私自身も、紀の川市の職員提案制度に挑戦し、ブログ形式で市政を分かりやすく情報発信する市職員ブログ「紀の川ぷるぷる通信」を立ち上げることができました。農林商工部の職員の協力を得て、気軽な読み物として人気を集めています。

合併したばかりの紀の川市の課題は山積していますが、私は、国や県の立場ではなく、より現場に近い市町村の立場で農業をはじめ様々な課題に携わることができ、大変やりがいを感じています。このような貴重な機会を与えていただいた中村愼司市長はじめ紀の川市、紀の川市議会の関係の方々に感謝申し上げ、筆をおきたいと思います。
(平成21年3月『かがり火129号』)