(2)ため池災害緊急レポート

「桃山町調月(つかつき)地内のため池2箇所の堤防が決壊寸前です。避難勧告の発令の検討をお願いします」

平成20年5月25日午前6時過ぎ。現場からの電話に強いあせりを感じた。未明から警戒態勢を引いていたが、まさか、ため池災害という事態に遭遇するとは思いもしていなかった。人命第一である。まずは、避難勧告の発令の範囲を決定しなければならない。ため池が決壊した場合の影響範囲を示す「ため池ハザードマップ」が整備されていれば、すぐに範囲は確定できる。

だが、今年度、市の単独予算でマップの調査費を計上したばかりだ。幸い、地元出身の課長が華麗な手さばきで地図の色塗りをはじめた。地元の地形や水路、家屋の状況が全て頭にはいっていなければできない名人芸だ。あっという間に地図が完成、65世帯の避難勧告の範囲を確定することができた。市長の認可を得て、避難勧告の発令の準備を進める。同時に、地元消防団によるポンプ排水の手配、ため池下流域の国道、県道の通行止めの協議も行う。

 

堤防が決壊寸前になったため池

午前8時10分、避難勧告発令。関係部局と協議し、防災無線で2回周知するとともに、市の車で個別訪問を行い周知の徹底を図ることとした。避難所に指定されている調月小学校の体育館には保健師も配置し、避難される住民の健康面での配慮も万全を期することとした。地元の市議会議員から何度も電話がかかってくる。現在の市の対応状況について、丁寧に説明することを心がけた。

地元消防団のポンプだけでは、ため池の水位は容易に下がらない。雨も降り続けている。副市長の指示により、国土交通省の排水ポンプ車を要請することにした。実は、数年前、国土交通省河川局補佐時代に排水ポンプ車の担当をしていた。通常は河川の側に固定される排水ポンプを可搬式にしたもので、その汎用性の高さから、全国の水害時に大活躍している。ため池のような河川と切り離された場所の災害で出動してもらえるか、若干不安だったが、和歌山河川国道事務所の所長に事態の緊急性を理解してもらい、すぐさま出動許可がおりた。到着した排水ポンプ車の重量は6.2トン。近くで見ると戦車のようだ。午後2時半、クレーンでため池におろし、排水を開始した。排水先の水路の能力の関係上、1分間30トンの排水能力をフルに活用できないのが残念だが、水位の減りはずいぶん加速した。何よりも、地元の人たちが、排水ポンプ車の圧倒的な存在感に「安心」を感じてくれたようだ。

排水ポンプ車

午後になって仁坂吉伸知事が駆けつけ、ため池の現場とあわせて避難場所も訪問してくれた。新聞記者の質問に「この地区だけに限らず、和歌山にはため池が多い。優先順位をつけて早く何とかしないと」と答えるなど、ため池防災対策の重要性を改めて認識してくれたようだ。国会の石田真敏議員、西博義議員、世耕弘成議員や地元の県会議員も駆けつけてきてくれた。地元にとっては心強い限りだ。

夕方になって、中村愼司紀の川市長を本部長とする現地対策本部を開催し、今晩の体制について検討した。雨もあがり水位も減少しつつある。避難住民は、朝から慣れない避難所で疲労している。できれば避難勧告を解除したい。しかし、ため池の水位はまだまだ高い。万一破堤した場合、人命にかかわる災害となることは明らかだ。避難勧告の継続を決定し、市長と一緒に避難所に向かった。現状を正確に伝えることに努めたが、「避難を継続してほしい」と住民に伝えると落胆する様子がありありと分かった。避難勧告の判断は、市町村にゆだねられている。勧告の発令の判断だけでなく、解除についての判断も本当に難しい。

国土交通省と地元消防団によるポンプ排水は、夜を徹して続けられた。国土交通省は照明車も配備してくれた。本当にありがたい。農地課職員によって定期的にため池水位の観測を行うが、じわじわと水位は下がってきている。翌朝午前6時20分、現地対策本部が再び召集され、避難勧告の解除を決定した。水位が下がり破堤する危険性は低いと判断したためだ。ただ、完全に危険な状態を脱するためには、ため池の水を完全に抜く必要がある。ポンプ排水は継続して続けることにした。

5月26日午後5時45分、2箇所のため池がほぼ空になったところで、現地対策本部を解散。翌5月27日早朝から、仮復旧作業を開始して、破堤寸前となった堤防を切り崩して土のうを積み上げ、当面の対策を講じる。その日のうちに近畿農政局の査定官の視察も受け、災害対策についてアドバイスももらった。

当面の危険な状況を脱した後は、ため池の復旧を急いで水の必要な夏期に備えなければならない。6月上旬までには、土のうや蛇かごによる応急復旧により、1箇所のため池は貯水できる状況を回復した。本格的な復旧は、災害査定を受けた後で、秋以降に行う予定である。

紀の川市は、平成17年11月に5つの町が合併してできた人口7万人の新しい市である。合併して以来最初の大災害となった今回、不慣れな部分もあったが、地元や消防団、県・国の協力を得て、中村市長をはじめ市役所職員が一体となって災害対策に当った。地元からは、「合併して本当によかった。旧町では、ここまでの機動的な対応は期待できなかっただろう」という評価もいただいた。ほぼ2晩徹夜状態が続いたが、そのような市民の声は、市職員にとって疲れを吹き飛ばすかけがえのない「宝物」だ。

紀の川市内には、786箇所のため池がある。今回のため池災害を教訓として、ため池防災対策の必要性が改めて認識されることとなった。こういった状況を受け、6月9日、市内の関係者に対して、次の事項に配慮してほしい旨の通知を発出した。

①底樋、サイホン、余水吐、水路の点検・掃除及び法面の草刈等、ため池の日常管理に努めること
②大雨が予測される場合には、事前にため池の水位を下げることを検討すること
③ため池災害の危険性について、下流域等の関係住民に周知すること
④ため池の日常管理等について、農地・水・環境保全向上対策、中山間地域等直接支払制度等の補助制度の活用も可能となっているので検討すること

この通知を受け、知り合いの区長さんが、早速、動いてくれた。農地・水・環境保全向上対策の一環として、地域のため池の草刈を住民総出で行ってくれたそうだ。農村振興局補佐時代、制度の創設に若干ながらもかかわった人間として、嬉しい限りだ。

今回のため池災害は、多くの教訓を残した。農家の高齢化が進む中、ため池の日常管理が行き届いていない。一方、都市化が進み、ため池の堤防ぎりぎりまで家屋が建設されている。堤防強化対策などのハード整備を着実に進めていく必要があるが、市町村財政は厳しく予算に限りがある。ため池の日常管理の強化や危険情報の周知などソフト対策を強化していくことが重要だ。特に、ハザードマップの整備は一刻を争う問題と思う。平成13年の水防法の改正により、一級河川などの洪水予報河川については、浸水想定区域の公表が義務付けられ、国や県の全額負担によって洪水時の危険情報が提供されることとなったが、ため池については地元負担が原則となっている。2次元不定流計算など莫大なシミュレーション費用がかかる手法より、簡易で安価な手法の開発が、緊急の課題ではないだろうか。

紀の川市ため池浸水ハザードマップ

今回の災害で、幸いにも人的被害は出さずにすんだのは、地元の方々、地元消防団の活躍はもとより、県・国の多大な協力があったからこそと考えている。改めて謝意を表したい。また、今回、中村市長の強力なリーダーシップの下、農地課の職員はじめ市職員も献身的な働きをしてくれた。心から感謝したい。
(平成20年9月「農村振興第705号」)