本日は、日頃から有機農業に取り組んでおられる皆さんの前でお話しさせていただく機会をいただき、大変恐縮し、かつありがたく考えています。
私は、現在紀の川市役所に勤めていますが、以前、農林水産省農村振興局で自然再生関連施策などに携わっていました。その際、「ドイツでは環境支払い制度というものがあり、農場にいる虫の数を基準に農家に政府からお金が支払われている」という話を環境団体の方からよくお聞きしました。
その後、国土交通省に出向し、ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州(NRW州)の農業環境政策を調査する機会に恵まれました。
本日は、その成果に基づき、環境保全型農業に関する日本とドイツの施策の比較を通じて、環境と農業の関係について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
◆日本とドイツの農業政策
日本とドイツの農業政策を考える場合、まず基本的な条件の違いを頭に入れておく必要があります。両国の総面積はさほど違いがないのに、ドイツの農地面積は国土の約半分あり農家一戸当たりの経営面積も広大です。カロリーベースの食料自給率も高く、日本と比べて条件に恵まれています。
また、EUの共通農業政策(CAP)によって、価格所得政策等によりドイツをはじめEU域内の農業が保護されてきました。
ただ、この農業保護策が農産物の生産過剰を引き起こし、その対応に苦しんできました。このため、EUでは、CAP予算の改革を進め、大きな流れとして、第一の柱(介入買い入れや輸出補助金などの価格・所得政策)から、第二の柱(条件不利地対策や農業環境政策などの農村振興政策)に予算をシフトさせてきています。
農家への直接支払いには①条件不利地対策、②農業環境政策、③生産調整を前提とした直接支払いの3つのパターンがあります。すでに、EUでは昭和50年(1975年)に条件不利地対策、昭和60年(1985年)に農業環境政策を導入し、平成4年(1992年)からは順次、市場での価格支持を削減して直接支払を導入しています。
一方、日本の農業政策は、平成11年(1999年)の食料・農業・農村基本法の制定を受けて、平成12年度(2000年度)に条件不利地対策である「中山間地域等直接支払制度」がはじまっています。平成19年度(2007年度)からは、農地・水・環境保全向上対策と品目横断的経営安定対策がはじまっています。
◆ドイツNRW州の農業環境政策
NRW州は、州都デュッセルドルフ、人口1、800万人のドイツ最大の州です。なお、ドイツでは州の権限が強く州がEUと直接交渉して農業政策を立案しています。
NRW州を調査しようと考えた理由は、2つあります。
1つ目は、従来ドイツ南部の財政力豊かな州の制度が日本で紹介されることが多かったのですが、石炭産業を主としたルール工業地帯を抱えて財政力が必ずしも豊かでないNRW州の農業環境政策を、財政の厳しい日本に紹介する価値が高いと考えたのです。
2つ目は、当時私が在籍していた国土交通省出身の書記官がデュッセルドルフにいたことです。彼を通じて州政府にアプローチし、州政府の担当官へのヒアリングだけでなく現地調査までお願いすることができました。
事前にホームページなどで情報収集をしていたこともあり、大変大きな収穫を得ることができました。
NRW州の農業環境政策は、通称KULAPと呼ばれています。環境に配慮した農業を行う農家に経済的な支援を行う制度です。
平成5年(1993年)からスタートしたこの施策は、平成16年(2004年)には州農地の20%に当たる29万ヘクタールで実施され、予算も5,320万ユーロ(1ユーロ140円換算で約75億円)まで伸びています。
KULAPには、「農業環境施策」と「契約自然保護」の2つがあります。
「農業環境施策」は、普通の農地を対象とした制度です。例えば、草地一ヘクタール当たり成牛一・四頭以下に制限するなど草地の粗放化を図ったり、有機農業を奨励したりするものです。予算的にはKULAPの八割を占めます。
「契約自然保護」は、自然保護が必要な特別な農地を対象とした制度です。例えば、農地に生息する鳥類の生態にあわせて草刈の時期を調整します。そんな難しい営農をするよりは、いっそのこと農業をやめてしまったほうが自然保護上有利な気もしますが、農業が継続されているからこそ生息できる生物もいるということなのです。予算的にはKULAPの二割を占めます。
KULAPについての評価を州政府に訪ねたところ、植生もよくなり観光面でも希少な動植物を観察できるようになったことから、州民からも高い評価を得ているとのことでした。特に、中山間地で粗放化している草地は、州民の目に触れる機会が多く、良い評価を得ているそうです。

◆日本の制度検討に向けて
和歌山県で有機農業に取り組んでおられる皆さんにとっては、こういったドイツの事例を参考にした日本型の農業環境施策を待ち望んでおられると思います。
ただ、ドイツと日本の農業をとりまく状況の違いは認識しておいていただきたく思います。
1つ目は、ドイツは広大な農地を抱えていて食料自給率も大変高いことです。日本は食料自給率が40%と低いため、農地の粗放化や生態系保全によって生産性を低下させる制度設計は困難がともないます。
2つ目は、ドイツ国民の自然保全や環境保全型農業に対する意識の高さです。農地に生息する貴重な動植物を守っていこうという強い姿勢には敬服するものがあります。日本では自然保護や環境保全型農業に対する国民の理解は一定のレベルにとどまっているのが現状ではないでしょうか。
日本でも、平成17年(2005年)に策定された新たな食料・農業・農村基本計画において、我が国の農業について環境保全を重視したものに転換することを推進するとされ、平成19年(2007年)に有機農業の推進に関する法律が制定されるなど、環境保全型農業に対する追い風が吹き始めています。
日本の9割以上の消費者が「環境に配慮した農産物」について、一定の条件がそろえば購入したいとする調査結果もあります(有機農業をはじめとする環境保全型農業に関する意識・意向調査、平成19年)。
平成12年(2000年)にはじまった中山間地域等直接支払制度は、棚田サミットや棚田ネットワークなど「民」発の地道な活動が制度創設に結びつきました。
今後、日本において、本格的な農業環境政策をスタートさせるためには、皆さんのように有機農業を実践する農家の方々と、環境に配慮した農産物を評価する消費者との相互の理解・連携が不可欠なのだと思います。
本日のドイツNRW州の農業環境政策についての講演が、その一助になれば幸いです。
(平成20年2月28日 和歌山県有機認証協会講演)
※『棚田学会誌第7号』に、NRW州の農業環境政策KULAPについて紹介記事を投稿しています。詳細は、ドイツ連邦共和国農業環境政策等調査レポート(平成18年3月)をご覧ください。